まずアーティストとしての面から聞きたいと思います。絵などの作品はいつから作り始めましたか?そしてそのきっかけ、理由は?
ロー:芸術科目のバカロレア(大学入学資格)を取ったので、わりに早い頃から創作活動に興味はあったと思います。それでも大学では児童心理学を学びました。バカロレアの後で、芸術関係の学校には行かない事に決めたのです。勉強のかたわらでも創作は出来ると思っていましたから。そして作品を作り続けました。芸術に関心を持ったのは、環境のお陰が大きいと思います。私の両親は絵画や文学、音響・映像・言葉を使った創作活動にとても興味を持っていました。
画家などで好きなアーティストはいますか?
ロー:日本でこの運動が知られているかどうかわかりませんが、デュビュッフェが始めた、アール・ブリュットという運動に以前からとても興味を持っていて、その考え方、芸術の非商業化という点がとても好きです。つまり、アーティストはそれぞれ作品を作るにしても、それを展示したり、それでお金を稼ごうというのではなく、何かを作り出そうということそれ自体が目的で、その他には目的はない、という点です。アール・ブリュットでは、作品はすべて精神療法として作られました。パリにはこの運動に捧げられたサン・ピエール美術館という場所があって、これはいまでも私の大好きな場所のひとつです。
次にミュージシャンとしての面に触れたいと思います。音楽をはじめたきっかけは何ですか?
ロー:はじめは”ガキデカ”(マンガの主人公の名を取りました)というノイズ・パンクのグループでした。ドラム2人とベース、ギター、キーボード、トランペットという構成で、私が歌い、詞を書いていました。私が10代の頃にはイギリスから来たパンクムーヴメントが盛んだったのですが、政治的な理由でなくて、10代の頃みんな憧れる、自由の観念みたいなものに惹かれたのだと思います。そして時間が経つうちに、歌をちょっと違ったやり方で使う、つまり歌を視覚作品や、子供の世界への私の関心と結び付ける事が出来るんじゃないかと、少しずつ思うようになりました。
ドラジビュスを始めることになったきっかけを教えて下さい。
ロー:きっかけは、小さい頃に聴いた童謡--特に父がよく歌ってくれました。-- を録音したい、そしてそれを忘れないようにしたいと思った事です。それから、私達はピエールバルーの息子バンジャマンに出会い、CDを出す事を提案されました。この"Barbapoux"というアルバムは、私が子供の頃に聴いた歌への、かなり個人的なオマージュになっています。そのあともドラジビュスで何枚もCDを出しましたが、このように個人的なオマージュではなく、この1枚目のアルバムはやや特別 なものです。それからドラジビュスとして、学校で、そしてまた大人の為のコンサートも少しずつ開くようになりました。また、サラヴァ(Saravh)レーベルのお陰で、日本で最初のコンサートも開く事ができました。  大学では5年間勉強した後、児童心理学者にはならないで、パフォーマンスを続けていくことを最終的に選びました。パフォーマンスの中で、子供達が私に何かを与えてくれ、私が子供達にも何かを与える事が出来る、という事は、仕事として心理学を応用するよりももっと豊かなことに思えたからです。
フランクと知り合ったきっかけは何ですか?
ロー:ル・デルニエ・クリ(Le Dernier Cri)というグループに共通の友人がいました。
ドラジビュスを始めてから間もない初期の頃にはどんな音楽を聴いていましたか?
ロー:もう10年程前から、子供向けの音楽のコレクションをしていて、家にたくさんのLPレコードを持っています。それ以外では、コレット・マニーやブリジット・フォンテーヌが、それから少し後ではデレック・ベレーなどが好きになりました。今はノエル・アクショテの音楽、芸術的なアプローチがとても気に入っています。パリの若いアーティストの中でいま一番才能のある人だと思っています。
現在のフランスの音楽シーンはどういったものになっていますか?
ロー:少し前に戻るのですが、80年代にはオルタナティブ・ロックの潮流にとても関心を持っていました。90年代になってこの流れが終わったあとは、少し空白があったと思います。今はレクタングルなどのように興味深いレーベルがたくさん出てきています。もうすぐ日本にも進出するMetamkineもいま最も重要なものの一つでしょう。このレーベルはエレクトロ・アコースティックな音楽を映像に結び付ける試みをしています。このように今は小さい独立レーベルがたくさん出ていて、だんだん面 白くなってきていると思います。
フランスで仲の良いミュージシャンは誰ですか?
ロー:まみちゃんバンドとはとても仲良くしていて、アルバムを一緒に出す予定もあります。まみとは日本の童謡(”月の砂漠””カナリア”)の為に仕事をしましたが、彼女と活動し、一緒にいる事は私にとってとても豊かな経験です。また、ae(アイ)でドラムをしているエミコとも友達です。この他にもフランクがコンサートの企画や新しい音楽を紹介するラジオ番組をやっているので、私達は多くのミュージシャンとつきあいがあります。
ae(アイ)... エミコ・オオタがドラム、ノエルアクショテがギターを、ストックハウゼンウォークマンのアンドリューシャープリーがコンピュータを担当しているバンド。来日予定あり。
今後のドラジビュスの抱負を教えて下さい。
ロー:まずさっき話したまみちゃんとのCDの製作があります。また一曲ごとにミュージシャンに参加してもらう、新しいアルバムの製作予定もあります。また小さなアニメーションを一本作る予定もあり、個人的には子供向けの本を一冊作るつもりです。
アニメーションはドラジビュスの活動として作るのですか?
ロー:映画を作るのは私ですが、フランクとレオも(ドラジビュスはこの3人のグループですから)この企画に監督権を持っています。つまり、映画は私が制作し、フランクとレオが監修した、ドラジビュスのアニメーション映画という事になります。フランクとレオのどんな小さな提案もそこには反映されるので、私の美学に基づいた、しかし3人によって作られた映画になるということです。
2001年の活動予定を教えて下さい。
ロー:フランスに帰るとすぐに、パリで行われるある小さなフェスティバルで子供と大人向けのコンサートをやります。それからイタリアツアーをします。またパリでは東欧フェスティバルにも招待されています。私の母がハンガリー出身なので、ドラジビュスではハンガリー語でもよく歌っていますから。アーティストとしては、子供向けの絵本を出版する予定です。この本では、ヒストリーも私が考えて書きます。まだ未定ですが、(今年の)9月か10月頃にThierry Magnier editionという出版社から出版される予定です。この出版社は、子供の為の本を出版するとても素晴らしい出版社だと思っています。
ハンガリー語は話せますか?
ロー:えぇ、話せます。最後にモーリス・ルメートルの次の映画にも音楽で参加する事になりました。ルメートルは音響詩の世界で名前をよく知られ、尊敬されている詩人です。彼に選ばれたことは私達にとって名誉な事です。
日本で好きな場所や気に入った所を教えて下さい。
ロー:どちらかというと庶民的なところが好きです。高円寺とか、池袋とか... 。それからあまり庶民的でないと思うんですが、画廊がたくさんあってNADiff(ナディッフ)のある所、(表参道)狭い歩道がいっぱいあって好きです。ドラジビュスとして日本の他のいろいろな街に行く事が出来ましたが、京都は大好きです。
日本にお友達がたくさんいますか?
ロー:日本にはたくさん知り合いがいます。というのも... ちょっと細かい話になりますが、フランクがパリでビンボータワーという、日本を紹介する店をやっているんです。これは本屋ですが、また本の他にもおもちゃやCDを売っています。この店のアイディアはニムラジュンコさんが95年に出したものですが、3年前からフランクが社長をしています。それでポル・マローやクララの人たちをよく知っています。パリでは、友沢ミミヨと深いつながりがあります。前回東京にコンサートで来た時には、画家のオオタ・ケイジと知り合いました。このようにサラヴァレーベルのお陰で日本に紹介してもらい、深い関係を作る事が出来ました。これからはノーベルセルポエムと仕事をしていきますが、彼女らと仕事をする事が出来て光栄です。
最近楽しかった発見があったら教えて下さい。
ロー:1年前からフランスのアニメーション会社の企画に参加しているのですが、それでモンタージュのコンピュータソフトを発見しました。アニメーションのモンタージュが出来るようになったので、私にとってこれが今年一番の発見でした。これからはAfter Effectのようなソフトを自分の作品制作にも使いたいと思っています。最近はアニメの吹き替えを時々するようになりました。またドラジビュスとしては、ビニール(レコードの材質そのものです)、それからプラスチック製のおもちゃのレコードプレイヤーを使う事を始めました。今はコンサートにもこういったコンセプト、-プレイヤーとレコード-を取り入れています。たとえば、レコードを4つに切ってまた貼り合わせ、曲が行ったり来たりするようにしたり、という感じです。このように、レコードというものそのものに興味を持っています。
ドラジビュスにレオが加入する事になったいきさつを教えて下さい。
ロー:初めは私とフランクのデュオでした。それからうさぎの扮装をしたベーシストも加わったのですが、このベーシストは子供の前で演奏する事が不安で仕方なかったのです。たしかに子供は大人の聴衆と違います。とても素直だし、結局のところとても誠実だと言えると思います。失敗があったり、つまらなかったりしたらはっきりそう言いますから。その頃から私達はレオを知っていました。レオはPik-Pusseというバンドを友達のミカとやっていたのですが、このバンドが解散し、ミカはまみちゃんバンドに、レオは私達に加わったのです。これは全部仲良く決まった事で、不和などはありませんでした。私もフランクもドラジビュスでのレオの活動を大変高く評価しています。
曲の作り方を教えて下さい。アレンジはフランクがしているのですか?
ロー:まず、それぞれバラバラに取り組みを始めます。私は世界中の童謡を集め、フランクとレオに提案します。試してみてうまくいくようなら演奏しますが、もちろんうまくいかない事もあります。アレンジは主にフランクがやりますが、レオもします。私がその後にアレンジを加える事もあります。
パリでの普段の生活を教えて下さい。
ロー:パリのベルヴィルという地区にフランクと住んでいます。ここは様々な文化が集まっている所で、この点とても豊かなところだと思います。ベトナム・インド・トルコ・東欧諸国などから来た人々のつくるさまざまなコミュニティーが同居しています。私達はコンサートによく行きます。映画も同じく重要ですし、読書や展覧会に足を運ぶ事も欠かせません。また、カフェで友達に会う事も多いです。この地区はミュージシャンやアーティストが集まる所ですから。
ベルヴィルはいい所ですね。
ロー:はい。様々な人々が問題なく一緒に住んでいるこういった文化的な豊かさは重要だと思います。でも実際のところ、私は昼間はパンテオンの近くのアニメーションの会社で働いているのですが。ここはもっとシックな所です。
休日は何をしていますか?
ロー:日曜日はドラジビュスの活動にあてていて、集まって練習をします。土曜日は買い物をしたり、展覧会に行ったり、映画を観たり。母や姉妹と時間を過ごすのも好きです。
家族はパリに住んでいるのですか?
ロー:はい。母は郊外に、姉妹はパリにいます。日本ではどうか、たぶん同じだと思いますが、パリでは土曜日は親しい人に会う事にあてる事が多いのです。日本の人達のように、金曜日まではみんな仕事で忙しく過ごしていますから。
得意な料理を教えて下さい。
ロー:作る方ですか?そうですね、、ブルターニュ風クレープを作るのが好きです。
ブルターニュは自然があって、私の大好きな地方の一つです。南仏は、ゆっくりするのにはだんだん向かなくなってしまったと思います。例えば夏のニースやコート・ダジュールは人が多すぎて近寄れないほどです。ブルターニュなら、きれいなところでひとりになれるので好きです。いつでも天気が良いというわけではありません。しかしコルシカ島にはよく行きます。フランクの両親があちらに家を持っていますから。
音楽や雑貨制作以外の趣味は何ですか?
ロー:趣味、うーん、、、料理はあまり上手じゃありません、残念ですが。読書は好きです。読みながら過ごす時間が大好きです。頻繁に本を読む欲求を感じます。私にとって必要不可欠なことです。スポーツはしません。音楽と美術の活動には大変時間がかかるので、多分読書や映画、コンサートを除いてほとんど趣味がないのでしょう。すべてのエネルギーは制作活動の為に使っていますから。ほかに好きな事があるとすると、旅行です。少しお金が貯まると、知らない国へフランクと出発します。最近ではフランクにハンガリーを見せてあげました。2001年にはアイスランドに行くつもりです。
21世紀を日本で迎える事をどう思いますか?
ロー:とても新鮮な気持ちがします。クリスマスや新年は日本ではかなりフランスと違った過ごし方をするようなので、楽しみです。
日本のミュージックシーンをどう思いますか?
ロー:大変豊かで興味深く見ています。またフランスにはない極端なものがたくさんある点も面 白いと思います。例えばボアダムスのようなバンドは、フランスでは決してメジャーには受け入れられないでしょう。反対にパリでは、ジャン=ルイ・コステスというアーティストの挑発的で過激な活動は裁判にまでなってしまいました。私はコステスのファンではありませんが、これは日本と比べる上ではよい例だと思います。コステスのパフォーマンスは裸になったり、かなり荒々しいのです。私としては風変わりな思いつきでも、もっとしっかりしたやり方で表現する方が好きですが。それはともかく、このように芸術に対しての規制が強まってきている中で、フランスのアーティストは互いに連帯するようになっています。コステスは私の感受性にはあまり合わないにしても、彼の表現する勇気には敬服しています。
あなたはいろいろな言葉で歌っていますが、それはなぜですか?
ロー:初めはフランスとハンガリーの歌を選んでいました。私が子供の頃聴いていたものを選んだのです。それから幼稚園で演奏するようになりましたが、パリの幼稚園にはアフリカ系、インド系、アラブ系といった移民の子達がたくさんいるのです。それで外国語で子供達にとって親しみのある言葉で歌ってはどうかとだんだん思うようになり、アラブ系、アフリカ系などの人たちと会う機会があるごとに翻訳をお願いしました。そういうわけですが、外国語で歌うという事についてはすぐさま批判されました。一部の子供にしか分からない言葉で歌うのは、どういうことか、という訳です。しかし経験を重ねるうちに、批判は当たっていないと思うようになりました。なぜなら、私の聴衆は2歳からせいぜい6歳くらいまでで、こういった年齢では、外国語の歌詞が分からないにせよ、リフレーンで音を追い、自分で歌う事が出来るからです。またさらにはこれは子供達に、世界には様々な文化や言語がある、という事を意識させる事にもなるとも思っています。それでドラジビュスではどちらかというとインターナショナルなレパートリーを続けていく事に決めました。大人の聴衆といえば、外国語、とくに日本語の歌は大変よく受け入れられています。パリではみんな”月の砂漠”と”カナリア”が大好きです。
なぜ子供の世界に目を向けるようになったのですか?
ロー:なぜでしょう...。難しい質問ですね。自分でもどうしてだろうと思います。はじめに私は児童心理学者になりたいと思っていました。なぜかというと、とりわけ70年代に、芸術による心理療法を子供達に提供する、様々な施設が開かれたのですが、こういったフランスの心理学者達の仕事にとても興味を惹かれていたからです。シュタイナーの提唱する芸術活動に興味を持っていました。ところでシュタイナーは日本でどう受け入れられていますか?
教育の世界ではよく受け入れられていると思います。ただ思想家としては、その神秘的傾向をやや怪しむ人もいます。
ロー:その通り。フランスでもこの問題があります。私もシュタイナーに興味を持っていますが、関心があるのは、芸術活動と病を持つ子供の治療を結び付ける、という点です。シュタイナーはもっと古典的な教育にも取り組んでいますが。またシュタイナーは宗教と深く結びついてもいますが、この点私は個人的には受け入れられません。しかしフランスで子供の精神病治療と芸術活動を結び付けた活動を最も強く打ち出しているのはシュタイナー式学校であるという事も事実です。そのうえでもっと一般 的な話をすれば、美術、文学、音楽などの表現の方法は何であれ、すべての芸術家は自分の中の深い所にある何かを表現するものだと思います。私についていえば、私の中にはどこか大人になる事を拒否している部分があるようだと親しい友達によく言われます。
日本の人々に何かメッセージはありますか。
ロー:日本の人々へのメッセージ...難しいですね。日本のやり方への私の批判を含んでしまいますから...。日本は、そして日本からやってくるもの全て大好きです。日本は島国ですから、時々日本はあまりにも閉鎖的だ、と思う事があります。しかし一方、芸術的な面 では、異質なものに対して大変開かれているとも思います。...やや矛盾していますが。ですから、いくつかの事柄については、日本の人々に、外に対してもっと心を開いて欲しいと期待しますが、他の面 ではこのまま続けて欲しいと思います。私の言う事はちょっと混乱していますね。... しばしばいくつかの事柄について内にこもりがちなのは、日本が海に隔てられた国だからだと思います。しかし反対に、特に芸術・文学・音楽などの面 において、日本は、例えばフランスにとても開かれています。こういった状況は日本のような国にとって例外的といえると思います。ですから芸術的な面 に関しては、開かれた国であり続けて欲しいと思います。このように外の世界に開かれているというのは、豊かな事だと思います。でもしかし... それにしても何に対してこのように閉鎖的なのでしょう?
孤立した歴史が長かったからではないでしょうか。外国文化は受け入れても、外国人を受け入れる機会は少なかったですから。
ロー:そうですね、ですから将来は外との交流がますます盛んになることを期待します。フランスでは私達は日本を高く評価しています。日本から来る芸術的なあらゆるもの、東京から来るあらゆるものにパリの人は関心を持っていて、日本の多くのミュージシャン、画家に注目が集まっています。2001年の12月には、日本のアンダーグラウンドシーンを紹介する大きなフェスティバルがパリで開かれます。ビンボータワーと一緒にこれを企画するある会社が、ミュージシャンを80人ほど招待する予定です。パリの人たちは大変期待しています。
たとえばどんなアーティストが来るのですか?
ロー:選択はさまざまなレベルでなされます。ビンボータワーのフランクとともに企画に当たる会社はどちらかというと視覚的な表現をするアーティストを選びます。フランクはミュージシャン、この会社は視覚的なパフォーマンスをする人、画家、ビデオ作家などを選びますが、いずれにしてもアンダーグランドシーンで活躍する人々という事になります。フェスティバルでは特にエレクトリックミュージック、例えば大友良英のようなミュージシャンに焦点があてられるでしょう。私はこれに関わっていないので詳しくは分かりませんが、大友の他にはEYE、宇川直宏などの画家、永田一直、LKO、Harpy、Jon、Dubsonic、暴力温泉芸者、などなど、エレクトリックミュージックで、あるいはそれ以外の分野で活躍する人々です。フェスティバルの会場はパリで今一番大きなエレクトリックミュージックの為の場所です。それからもちろんアメリカンチェリーなどそれ以外のミュージシャンもたくさん呼ばれます。いまここで挙げたのはごく一例にしか過ぎません。フェスティバルはもっと多くの人々の参加を反映したものになるでしょう。

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